コラム from Sweden
北欧の暮らし
ハウスメーカー【スウェーデンハウス】がお届けする、
時季折々の北欧のコラム。

今では想像できないほど大量のニシンがバルト海に回遊していた1500年代、漁師たちは曳き網いっぱいに捕れたニシンの内臓をすぐに取り除き、塩漬けにして木樽に詰めて保存していました。

1896 年頃のフィッシュマーケット 現在のSlussen辺り
ところが塩の不足とともに値段が上昇したため、塩漬けの塩を減らしたことで偶然発酵が始まり、「surströmming(シュールストレミング)」が生まれたとか。
この偶然の産物は北部地方のUlvö(古いスウェーデン語で「狼の島」という場所)の島で始まったと言われています。そのせいか現在販売されているシュールストレミングの缶詰には、その地に因んで付けられた名前が多いです。

Röda Wlven/ローダ・ウルヴェン(赤い狐)という名がついたシュールストレミングの缶詰。
シュールストレミングの発祥の地Ulvö(ウルヴォー)に因んで付けられた名前です。
「世界一臭い食べ物」として名を馳せるシュールストレミング。缶を開けた時の匂いはというと、想像を絶するほどの強烈な刺激臭です。そんな匂いにも屈せず最初に口にした人の勇気には驚かされるばかりです。
sur=酸っぱい strömming=ニシン 日本語にすると「酸っぱいニシン」ということになります。塩分が強いためか命名由来の酸味を感じたことはあまりありませんが、surには発酵したものという意味も含むそうです。塩漬けした魚は特に新鮮な魚が手に入りにくい内陸地方の人たちにとっては貴重なもので、北部スウェーデンの農民の保存食として普及していきます。
16~19世紀までは木樽で発酵させたニシンは小型の木樽に詰めて市場に出ていました。その後20世紀初頭までは瓶詰めのシュールストレミングが登場しましたが、発酵による膨張で瓶が割れる危険性があり、長期保存には向いていませんでした。20世紀になってから現在のような缶詰に代わり、長期保存が可能となって広く普及していきました。第一次世界大戦時には、保存性の高さから軍隊の食糧としても採用されていたそうです。
1940年からは発酵が十分に進む時期を待つための決まりができ、8月第3木曜日がシュールストレミングの解禁日とされました。
元々は貧しい食卓の保存食から始まり、現在は日常的に食べる習慣はありませんが、解禁日となる8月の終わり頃にパーティーを開いて食べる特別な食べ物となっています。
スウェーデン国内でも南部地方の人たちには匂いが強すぎて好まれないようですが、北部地方の人たちにとってはご馳走で、伝統的な食文化として受け継がれており、8月初めのザリガニパーティーとならんで、海外からも注目されるスウェーデン特有の夏の終わりの風物詩となっています。

【左】シュールストレミングの缶を開ける時は屋外が鉄則。ゴム手袋も必需品です。
【右】お腹から見えている卵は数の子の一種。こちらも珍味です!
シュールストレミングに使用されるニシンは成熟する春に捕獲され、捕獲後に内臓を取り除き、下処理をしたあと血が全て抜けるまで濃い塩水に2日間浸けておきます。その後、樽に移し薄めの塩水に漬け込んで6~8週間発酵させると7月初旬には缶に詰められる状態になり、すぐに商品として出荷されます。多くの人が8月第3木曜日の解禁日を楽しみに待っていて、その頃になると発酵がさらに進んでいることが缶の膨らみでわかります。
「シュールストレミングの缶は屋外で開ける!」というのが暗黙の了解。密閉した室内で開けてしまうと、あらゆるものに匂いがしみついてしまうとか。他国に住むスウェーデン人の方から、シュールストレミングを食べて近所から苦情が殺到したという話を聞いたこともあるほどです。また飛行機への持ち込みが禁止されているため、残念ながらお土産に買って帰ることはできません。機内で缶が爆発してしまうと大変なことになりますからね。
このような話を聞くと、知らない方はその匂いに恐怖を感じるかもしれませんが、実は強烈な匂いは缶を開けた瞬間だけで、オープンサンドなどの料理にして出されたものはさほど気になりません。実際、私が覚悟を決めて初めて口にした時も、想像していたものとは違い美味しくいただけました。
北部地方特有の硬く焼いた薄焼きパン「Tunnbröd(トゥンブロード)」の上にバターを塗り、茹でたジャガイモ、ほぐしたシュールストレミング(ニシンの身)、薄切りの紫玉ねぎのみじん切り、トマトの薄切りにサワークリームをトッピングして食べるのが正統派の食べ方だとか。柔らかいタイプのトゥンブロードの場合は、全てのトッピングをのせてくるっと巻き込んだロールサンド風にしていただきます。
トマトはシュールストレミングの強い風味をマイルドにしてくれるのと、消化を助けてくれる役割や食べた後の口臭予防にも役立つそうです。
そのほかにも、茹でたジャガイモとニシンだけのシンプルな食べ方はもちろん、サラダに加えてディルやサワークリームのドレッシングで食べるレシピや、「ヤンソンさんの誘惑」のようにポテトグラタンに使うレシピもあります。

硬い薄焼きパンの上にトッピングしたシュールストレミング。最も伝統的な食べ方です。

地中海のヒシコイワシ。ニシン類に属するヒシコイワシは地中海では塩漬けにして「アンチョビ」として売られています。
スウェーデンでは味付けが異なりますが「ヤンソンさんの誘惑」に使い、同じくアンチョビと呼ばれています。
シュールストレミングや酢漬けに使われる魚はニシン類に分類され、スウェーデンではsill(シル)やströmming(ストレミング)と呼ばれます。
アンチョビに使用するカタクチイワシや日本のマイワシも同じ種類で、群れで回遊する姿がキラキラと輝いているところから「シルバーフィッシュ」とも言われ、その漁獲量は世界で最も多いそうです。スウェーデンの食文化には欠かせない食材として遠い昔から親しまれてきたニシンは1956年に漁獲量のピークを迎えますが、それまでの乱獲のため1970年には急激に減少してしまいました。その後の対策で回復はしたものの、現在も持続可能が難しい漁獲量なのだとか。ただ近年の魚の減少は、漁獲の量だけでなく、気候変動や海の汚染が主な原因だと言われています。
ニシン類はプランクトンを餌としているため、海の温度が上がってプランクトンが死滅したり他の場所に移動してしまうと餌がなくなり稚魚が育たなくなります。その結果、ニシン類の魚を餌にしている他の大きな魚も減少してしまうことになり、海洋生物全体に大きな影響を与えているようです。
先日、スウェーデンにいる娘から聞いた話では、アンチョビを買いに行ったところ売っていなく、別の店でもみつからなかったため尋ねてみたら、なんとここのところ商品が不足して入荷していないとのこと。
そういえば私がスウェーデンに住んでいた20年ほど前はタラが減少しているためしばらく捕獲が制限されるということがあり、かなり長い間店頭で見かけることがなかったのを思い出しました。
2024年は、8月半ばごろから北部地方ではシュールストレミングが品薄だと聞きつけた人たちが、3週目木曜日のパーティーのためシュールストレミングを求めてスーパーに長い列ができたそうです。
ザリガニも一時は同じ状況でしたが、現在は危機を乗り越えて再び夏の終わりの風物詩として楽しめるようになりました。ニシン類もこの危機を乗り越えて、後世の人たちに食文化の伝統を伝えていきたいですね!